昨日の「想像力」と、本日の「思考力」、
自身の経験や知識が共通のベースになっていて、
異なるのは、その表現方法だけ...
もう少し加えるなら、
「思考力」は、そのベースの部分を、「根拠」と見なし
そこから論理的に物事へのアプローチを始める。
実際的な、もしくは機械的な作業においては、
「思考力」は、それ程問題ではない。
心理的な揺さぶりをかけられるような事態に直面した時、
「思考力」は、余計な動きで、事態をさらに面倒にする。
さて、どうするか...
先ずは、「思考力」の初動から、つぶさに観察を始める。
余計な動きは、すぐにわかる。
「?」のマークが点滅し、
「想像力」が浸透してくる...「感情」と言い換えても良い。
そして、極めつけは、
「だから~すべき」「だから~しなくてはならない」という
もっともらしい「根拠」が、正否・善悪を喧伝し始める...
もちろん、純粋な「思考力」などありえないし、
「想像力」の違和感が、良きストッパーとなることもある。
問題となるのは、その裏で、
もっともらしい「根拠」をふりかざす、
そう...エゴの存在だ。
『思考力の見解』とは、すなわち、『エゴの見解』。
対処の方法は、これまでに何度も述べてきた、
くり返すよ...
挑みかかるのはエゴの思うつぼ、
とにかく、そのプロセスをニヤニヤして観続けてやればいい。
本当に、エゴはそれを嫌がるんだ(笑)
追記:昨日の動画、3分過ぎた頃に、一瞬、布袋氏が頭上を指差し、
奏で始めたメロディーに気づいただろうか...
泣かせるな、まったく(笑)