夕暮れ時の富士山があまりに綺麗だった、
それで思い出した!
以前、あるサロンに属していたときに
リレーブログというかたちで、数回だけ文章を書いた...
その時の富士山についての文章を、
3日連続で再録してみたいと思う。
当時は、セラピストの自覚などほとんどなかったから
どうかなあ...と思ったけど、
ほとんど今と変わらなかった(笑)
それではどうぞ...
『富士さんのこと』
富士山は個体として大き過ぎるせいか、少し距離感が取りにくい。
もちろん、
普段の生活で常に富士山と距離を取って生きてるわけではないが、
都内でも、ふと視界に入ることがあって、
新幹線からチラ見するより、やけに迫ってることがある。
近づいてる、絶対ちょっと動いてる。
大爆発なんかより、じわじわくる感じで怖い。
夕焼けに紅く映えている時などは、周囲もざわざわしてくるし、
ちょっと逃げたくなることもある。
その逆もあって、遥か彼方、靄や雲間に見えるときなどは
ありがたみもちょっと増すし、安心して眠れそう。
こんな話、
富士山に間近に接している人には馬鹿げた話のように
聞こえるかもしれないが、身に覚えがある人はいると思う。
どういう理由でそう見えたり、
感じたりするのかはわからないけど、
霊峰なんだから、そういうこともあるんだろう。
今も昔も、富士山頂の御来光は人気で、
一度は行ってみたいが
高尾山のミシュラン人気と同様、思いのほか人が多そうで、
とか言いながら、なかなかその機会をものにしていない。
この国は、天より照らす大神と遍く照らすお大師様が
人気の国なのだから、
漏らさず御来光は降り注いでいるはず、
今のところは、練馬御来光や、板橋御来光で十分だ。
出来れば、樹海で崩れ落ちそうになっている人に
木洩れ陽程度でも届けばいいな、とは思う。
ここまで書いてくると、少し富士山を軽んじているように
思われるかもしれないが、そんなことはない。
ただ、山について思いをはせると
いつもこんな曲が頭をよぎってしまう。
♪一つ山越しゃホンダラダホイホイ
も一つ越してもホンダラダホイホイ
越しても越してもホンダラホダラダホイホイ
どうせこの世はホンダラダホイホイ
だからみんなでホンダラダホイホイ
~続く
『ホンダラ行進曲』
歌手: クレイジー・キャッツ
作詞:青島幸男
作曲:萩原哲晶
ふざけてるわけじゃなくて、ホンダラ=補陀落、
かの有名な『スーダラ(=首陀羅)節』も
中世仏教信仰の含みがあって、
植木等が寺の息子というインスピレーションのもと、
歌詞が作られた経緯があったわけで...
ちょうど時間となりました。
山岳修行は向いてなさそうなので、
次回は、海からアプローチかな。
とりあえず、これが1回目、
明日に続く...