ヒプノセラピストは、
あくまで自然な流れには乗りながらも、
自覚的に声を使い分ける。
顕在意識の声
:合理的、理性的な内容の事柄を、
はっきりとした調子で、明確に伝えようとする声
(例)銀行の窓口あるいは商用での電話のやり取りなど
潜在意識の声
:話しながらも受容性に満ち、
優しくゆったりとした調子、
繰り返しと一定のリズムをもった声
(例)お母さんが赤ちゃんを優しくあやしている声など
例に示したように、
ヒプノセラピストに限らず、
誰でも、日常的に、その二つの声を使い分けている。
ただ、自覚しているかいないかの違いだけだ。
ある事柄について、
理性に訴える場合と感情に訴える場合など
自然と使い分けているはず。
どのように使い分けるかの話は、
それはそれで大事なので、
また別の機会に譲るとして、
今回の話は、
ダライ・ラマ14世の声。
彼は、チベットの政治指導者と宗教指導者の二つの顔、
いや、二つの声を持つ。
合理、理性的な内容について、多くの政治的配慮にもとづいて
明確に発信される...顕在意識の声
チベット仏教の顕密の教えに従い、歴代ダライ・ラマとして
祈りと読経、儀式に捧げられる...潜在意識の声
しかし、彼の声を聴いていると、
なぜか顕在意識の声と潜在意識の声が、
渾然一体となっている。
何を言おうが、その声にしびれてしまう。
その謎はどこにあるのか...
実は、潜在意識のさらに深くには、
集合的な無意識が広がっていると言われている。
個人の別を超えた意識の領域...
恐らく、ダライ・ラマ14世の声には、
チベット民族、あるいはチベット仏教、
さらには、涅槃や浄土、空や悟りといった、
ある集合的な無意識からの声が宿り、
あるいは背負い込んでいるからこそ、
顕在意識、潜在意識の声などという区別が
無化されてしまったのかもしれない。
それゆえに、
政治的な内容やチベット仏教のことなど
詳しく知らなくても、
どこか胸揺さぶられるのだろう。
そして、大事な要素がもうひとつある。
彼の、前かがみになり、合掌しながら見せる、
あの無邪気な笑顔である。